週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

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                        現在月一回の更新になっております。
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                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

2015-01-01から1年間の記事一覧

思考の循環と教育者の現役性

■ 情報であり、知識や意識というものは、自身にとって、時に財産でもあり、出し渋ってしまうこともある。ただ、それらを自身から一旦出してしまうことで、また新しいものが入ってくる、もしくは、自身の中から生み出されるのではなかろうか。情報であり、知…

人における情報と意識の循環

何かの目的の為にあるものの接種を断つということ。健康や仕事の改善の為に。その対象への欲求を高め、感受をより強める為に。中毒や依存などの様に、自身におけるある種の特徴を平均という枠に戻す為に。 そして、具体的に何かを得られるのか分からないが、…

制服

制服という概念における一つの枠という側面。それを使えば、高い確率でこうなるという側面であり、教科書の様なものとも言える。そもそも装いであり、外見全般にも言えることか。どういったものを着れば、どういう印象になるのか。 それを行えば、大きな間違…

見栄を張るということ

人は、見栄を張り、適度に謙遜し、時に恐縮する。そして、自身の所属する集合体や組織において、本音と建前を使い分ける。 それらの行為によって、何かしらの側面が守られているのであろう。それは、同時に、自身の枠を固定化させているとも言える。また、そ…

一長一短の外側

色気が過ぎれば、いやらしく下品になり、可愛さが過ぎれば、幼くなり、美人も過ぎれば、きつく怒っている様に見られてしまう。 二つの対比させられるベクトル。それは、本質的には、二つの相反するベクトルだけで完結しているというわけではなく、一つのベク…

故郷

そこに戻ってきてしまう、帰りたくなってしまう場所であり、者であり、物事。その感覚の所持というのは、まだ自身が、その側面において故郷的な存在に大きく影響されているということなのであろう。そして、その存在を忘れ、時に思い出す程度になった時、自…

非常識の中にある常識性

ある作家がテレビの番組に出演していた際に、作家になった理由を聞かれ、「作家になるしかなかったんだよ。」と答えていた。横に居たタレントが、「カッコいいですね。」と反応していたのを覚えている。 作家という職業に憧れ、目指し、その肩書きを手に入れ…

人における計画性という能力

人という種と他の生物との違いの一つに、計画性という能力があるのではなかろうか。それは、他の生物にもある能力ではあるが、比較した場合に、その大きさは、無に等しいとも言えるのではなかろうか。 その計画性という側面は、万人に行き渡り、平均化するこ…

再考という行為について

無意識の自分が、有意識の私にはあまり相談せずに、決定し実行された再考という行為は、私にとっては、憂鬱なものになってくるのであろう。もちろん、憂鬱という状態が、必ずしも排除すべき状態とは、言い切れないであろうし、少なくとも、私にとって、それ…

狂ったリズム

一度狂ったリズムというのは、中々元のリズムに戻ってはくれない。同時に、それを取り戻そうとすればするほど、どつぼに嵌っていく。それは、そもそも元に戻るということ自体が、不可能だからなのではなかろうか。例えそれが、ほぼ同一のものになろうとも、…

乗り換えという能動性

こんな私でも、過去に普通に働いていたこともある。ただ、朝晴れやかな気持ちで出勤したことは、どれくらいあったであろうか。ほとんど記憶になく、数えるほどであったと思う。 ほとんどの日々において、この電車にそのまま乗って、何処かに行ってしまおうか…

手に出来ないけれども、欲しいもの

過去には戻れないという前提で話をすれば、もう少し欲しかったが、それは、おそらく叶わないであろうことは、幾つか浮かんでくるものであろうか。それが、自分の努力の不足であれば、後悔する者は多いのであろうが、それが、必然と言えるくらいに仕方がない…

反省という行為について

ちなみに、反省という言葉には、振り返りという側面と、改心という側面があるが、一般的には、主には後者の側面で用いられることが多いであろうか。ただ、今回は、前者に関してである。 反省という形式は、意図的に行われるが、人におけるその行為は、自然に…

静と動

考えるという行為も、行動の一つであると、自身の中で認識している今でもまだ、動いている者達の物事に意識を向けさせられてしまう時がある。魅力を感じているとは、違うものである。それは、成果の理解のし易さであったり、実感のし易さに起因しているので…

肩書きによる成長

肩書きという枠や、不変も含めた広義な意味合いでの変化などによって、形作られる環境は、人を成長させるが、その環境を作りだすのも人である。 自身でそれを作るのか、他者による作成を待つのか。他者からのそれには、影響の範囲であり、期間に限度があり、…

関係性の一つとしての友人

友人という関係性に限らず、おそらくは全ての関係性において、少なからず利害関係は、存在しているのであろう。その利害関係が、直接的なのか、間接的なのか。大きいのか、小さいのか。また、それは同時に、人間同士の関係性にのみ限定されることではなく、…

考え続けるということ

その救おうとしている対象への行動。各々の中にある無意識の前提から、その行動の基準は作られているのであろう。そして、その前提は、どこのものが使われているのであろうか。自身のものか、世間のものか。 自分がその行動をしなければ、その愛する人は、不…

表現するということ、伝えるということ

今という時期であるのか、段階であるのか、伝えたいという言葉は、しっくりは来ない。表現という行為は、何かを伝えたいから行っているとは限らない。もちろん、伝えたいものがあるからこそ、表現している人は多いのであろう。ただ、伝えたいものが強烈にあ…

意識の熟成

通信技術とSNSの発達によって、発信が容易になり、かつ半無限の対象の可能性を持っている。疑問も、感情も、問い掛けも、答えも、反応も、それらの内の一つの情報は、自身の中を通り過ぎ、そこには多くを残していかない。 新鮮さは、一つの長所ではある。だ…

伝えたいという意識の大きさ

仲間という存在を求めている意識は確かにあるが、それは本質的には周囲を変えるというものではなく、探索と待望という形に表れる。 他者に対して特別に伝えたいことなど、持ち合わせてはいないのかもしれない。愚痴という、ただ聞いて欲しいだけのものはある…

無駄という意識自体への批評とは

何もしないという本来は、無駄とされている時間においてこそ、私の思考は、深まっていくのであろう。有意識下での思索だけでなく、無意識下での思索も必要であるということ。 ただ、それは平均の中において、認証されていない程度のものでもある。そして、そ…

生きる意味について

現代の若者における「生きる意味」とは、どこにあるのであろうか。 そもそも意味の規定という行為には、善悪の規定と同じ様に枠や前提が必要であるが、より本質的な意味においては、有るか無いかというよりも付加するかどうかなのであろう。 現代の若者にお…

「要するに」という言葉の役割

「要するに」という言葉を割りと使う方かもしれないし、使われる方かもしれない。あまり良い印象を受けない人も多いかもしれない。使う側に問題がある場合と、使われる側に問題がある場合があるのであろう。 恰好を付けて使う者も多いのであろうが、同時に、…

孤独という過程の一つ

物理的であり、精神的であり、思考的であり、物事の存在において、他との接触が必須なのであれば、完全な孤独という状態は、それ自体が存在の消滅を指すのであろう。孤独という感覚を我々が抱くのは、有無ではなく大小の比較によって生み出されているのであ…

戦争という機能

人という存在において、戦争であり、争いという機能は、おそらく無くならないのであろう。不平等と同じように、無くならせる努力を続ける者達を否定はしない。 手法が、物質的な側面から、非物質的な側面へ変化し、また、対象が、物質的な資源から、思考的な…

絶対的な味方と負の可能性

村上春樹の小説の中で、睡眠について、この様に書かれていた。一部抜粋及び、やや意訳あり。 「人には、行動・思考における個人的な傾向があり、その傾向は、概ね不変であり、それによって生まれる、偏りというものを睡眠によって、中和させている。」と。 …

新たに見つける自身における普通な側面

それまで大きく不足していた物質的な側面への欲求が満たされていく中で、同時に、何とも言えない違和感に曝されていく。 それまでのよくも悪くも安定していた自分から変化しているという、単純な状況の変化に対する不安感というものはあるのであろう。 そし…

自身を否定されるということ

その表現が、表層的には普通の範囲における異端に見える場合にも、自身の真意を理解されない形での否定があるのであろう。逆に、真意を理解した上での否定は、一般的な感覚における負の対応ではなくなる。同時に、これは、肯定にも同様のことが言えることで…

弱者の努力への称賛

オリンピックの水泳競技に、ろくな設備も無いアフリカの選手が出場し、2倍以上の時間をかけて泳ぎ切り、観衆から多くの拍手を貰っていた。そして、それは、その日のニュースに取り上げられていた。ちなみに、シドニーオリンピックの件の背景は、一応知ってい…

仮面を付け替えるということ

人は、時々刻々と仮面を付け替えながら生きている。そして、その仮面のどれもが自分自身なのではなかろうか。ただ、同時に、どれもが自分自身ではないとも言える。 本物の自分とは、何なのか。有るとも言えるし、無いとも言える。幾つかの意識の集合体群にお…

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