2017-01-01から1年間の記事一覧
「気にし過ぎ。」 平均との比較であり、費用対効果を抑えるための手段の一つか。間違っているわけではないのに、悪いことの様に扱われる。単に、貸しを作りたくないだけか。気にし過ぎて、何が悪いのか。もちろん、その否定が悪いとも思わないが。 気を使っ…
人は、時に、そこに状況を置いてくる。置いてくるものが、有形とは限らないということ。無形とも言えるが、思い出というわけでもない。意識というよりも、認識や前提という意味合いが、近いと言えば近いか。一つの土台であろうか。その状況に、一つの安心を…
「私は、○○のプロだから。」という言葉を、幾度か聞いたことはある。経営者を批判する事務方の人。給食費の回収に、苦悩している教師。意見を求められて、メディアの中立性を説く取材スタッフ。 「○○のプロであって、○○のプロではない。」 私も時に、そうい…
ある意味で、やる気の変動とは、表面的なものとも言えるのではなかろうか。行動における原動力の幾つかのエネルギーの総和に対して、一定の基準を超えた場合に、それを、単にやる気と捉えているに過ぎないのではなかろうか。 やる気という言葉の意味を問えば…
理解とは、変化なのであろう。その事象を受け入れるということ。変わらなければ、理解はできないのではなかろうか。 自分という色彩に、他の色彩を混ぜ合わせるということ。どんなに色を重ねても、変わらない、変えられないキャンバスを持てるかどうか。ただ…
今、サボっていたツケが回ってきているのか。若しくは、今、苦しみ、頑張っているから、過去の私が、のんびり出来ているのか。 なぜ、未来が、先で、過去が後だと規定するのか。なぜ、時間だけが、一方通行だと思うのか。タイムトラベルが出来るかどうかでは…
米を研ぐ時、ふと、気が付く。水を冷たいと感じなくなっている。窓を開けると、庭の桜は、葉が濃くなってきていた。外階段の手すりには、ジャスミンの枝が生い茂って、蕾を膨らませており、庭の飛び石の側には、三つ葉が生い茂り始めている。 陽気が訪れて、…
どの存在においても、根本的には、目的も、意味も、無いとも言えるのであろう。同時に、何かしらの目的や意味が無ければ、そもそも、その存在自体が、存在できないとも言えるのであろう。 行動自体であり、無形も含めた存在における目的であり、意味。 それ…
その一つの存在において、悪いと判断されている側面。それは、判断する側が、その様に見ているだけなのか。もしくは、その存在が、そうさせているだけなのか。同時に、その存在が、意図的にしていることによる結果なのか。 何かしらを守ろうと、与えようと、…
例えば、感覚派と理論派という分類があるとする。その上で、ハイブリッドという存在もあるのであろう。時にそれは、中途半端に見えるのかもしれない。 ただ、何処に基準を据えるかの違いであり、ハイブリッドを主軸にすれば、感覚派や理論派という軸も、中途…
「忌憚なく言わせてもらえば」や「誤解を恐れずに」という言葉を使っている時点で、既に忌憚や恐れを抱いているとも言える。 ニュアンスの違いへの賛否は、あるのであろう。そうではないという意見も分かる。 ただ、そこには、少なからず、何かしらの不安が…
大人になったとしても、悪い意味での子供的な側面が無くなるわけではないのであろう。その側面における自身の枠が変化しているに過ぎない。広がり、狭まり、移る。同時に、その齢によって、世間からの常識も変わっていく。 社会から自立を求められる存在があ…