手に出来ないけれども、欲しいもの
過去には戻れないという前提で話をすれば、もう少し欲しかったが、それは、おそらく叶わないであろうことは、幾つか浮かんでくるものであろうか。それが、自分の努力の不足であれば、後悔する者は多いのであろうが、それが、必然と言えるくらいに仕方がないことであったり、自身の精一杯の行いの上での結果であれば、妥協できるのかもしれない。もちろん、その際に、平均的な基準を用いることも一つの正解ではあるが、その基準の種類の数だけ、正解があるとも言える。
全く与えられなかったり、手に入れられていないというわけではないが、それを、十分に手に出来ているかどうかは、分からない。ただ、その基準は、どこと比較しているのであろうか。分からないとは言え、何かと比較しているのである。平均との比較であろうか。
そもそも、それは、常に、誰であっても、満ち足りないものなのかもしれない。単に、欲しいその瞬間に、得られ難いというだけかもしれない。または、仕方がなかったと、黄昏たいだけなのであろうか。
その側面において満ち足りていないからこそ、手に出来る他のものであり、可能にしている側面は、あるのであろう。同時に、もう手に出来ない状況だからこそ、至れる場所であり、形成される姿があるのではなかろうか。