意識の熟成
通信技術とSNSの発達によって、発信が容易になり、かつ半無限の対象の可能性を持っている。疑問も、感情も、問い掛けも、答えも、反応も、それらの内の一つの情報は、自身の中を通り過ぎ、そこには多くを残していかない。
新鮮さは、一つの長所ではある。だからこそ、人々の思考の平均値は、上がっているのかもしれない。ただ、腐敗する機会は減ったのであろうが、熟成される機会も減っているのであろう。ちなみに、そもそも、その対象への自身の思考や意識の腐敗はあるが、その対象自体の腐敗は、半永久的には無いのかもしれない。
傾向の話であり、システムによる無意識の思考への作用が減少しているということ。そもそも、有意識の思考によってでしか、対象への深い意識の熟成は、行われないのであろう。
だからこそ、その集合体の中で、本当に必要な対象への思索が精査されていくのかもしれない。情報の集合が一つの個における意識体の様なものであるように。
そして、答えは、外にもあるのであろうが、それ以上に内にもあるのではあろう。