週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
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                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

2015-01-01から1年間の記事一覧

自身における世間という要素への許容範囲

宮沢りえ、米倉涼子、浅田真央など。たまたまなのか、女性という観点では、共通している。 彼女達の雰囲気に対して酷く違和感を持つ時がある。嫌悪感に近いとも言えるかもしれない。若しくは、生理的に受け付けない感覚とも言えるのかもしれない。ちなみに、…

障害者という存在に関して

障害者という存在は、平均という枠の外側の人々の一種である。それを、平均という枠に納めようとすることで、現れる弊害の顕在化された一つの形とも言える。ただ、その作用も、自然な作用の一つとも言える。 身体障害に関しては、根本的には、平均と何ら変わ…

信頼

政治家の経歴詐称や芸能人の覚醒剤所持・使用などの事件の際に、「信頼していたのに、裏切られた。」というファンのコメントをよく耳にする。そして、世間は、「彼等は、信頼を失った。」と、認識するのであろう。 ただ、そもそも信頼という意識は、その様な…

憂鬱

我々が持つ感情の一つに憂鬱という状態がある。世間において、気持ちがふさぎ込み晴れないこととされ、あまり良い状態という認識ではない。むしろ、積極的に取り除くべき状態という認識であろうか。 例えば、平均以上に社交性がある者が、ふと、「私も一人の…

教育について

「教育をしたい。」「教育に関わりたい。」という人が居るが、彼等は、何がしたいと思っているのか。おそらくは、直接的に肩書きを持たなければ、出来ないとしているのであろう。 そもそも教育とは、コミュニケーションが取れれば行えるものである。つまりは…

言葉を扱う者の姿勢

ある日の夜、私は風呂に入り、いつもの様に大きくため息をつきながら湯船に浸かっていた。いつも以上に疲れていたのか、その日のため息は唸り声に近かった様に思う。そして、その私に同調する様に、近所の犬が遠吠えを始めた。 例えば、地球と私という物理的…

解体途中のビルへの洞察

ある日の夜の散歩中、ふと一つの場所の前で足が止まった。解体途中のビル。敷地面積はそれほど広くなく、3階建て程度だが、住宅街には、十分な大きさである。 どういった理由かは分からないが、瓦礫の山という姿ではなく、建物の中だけがくり貫かれ、正面以…

ひきこもりの表層と内実

ひきこもりの子供を持つ親の方々に、お会いする機会は幾度かあったが、その中で「昔は、普通だったのに・・・。」というコメントを貰ったことがある。 それは、表層と内実の違いによって起こるもの。 人は、集合体の中で他との接触によって、その存在を確定…

NPOという役割とは

企業や行政などが構築している社会の基盤に対して、アクセントを加えていく存在は多々あるが、それらの中にNPOという役割があるであろうか。 一つのNPOとしての区切りは、その担っている側面が、基盤の領域に組み込まれ、ある種NPOとして関われなくなるとい…

信号無視

ある日の横断歩道での信号待ち。もうあと数秒で青信号に変わりそうなタイミングで、車が来ないのを確認しつつ、赤信号を渡っていった人がいた。またある日には、青信号を渡っている時に、ちょっと斜めに車道を使いながらショートカットする人もいた。 それら…

枠の内側と外側

咎人、天才、変態、少数派、独裁者、異端者、偉人。 一側面であり、一個人としての肩書き。 彼等が居るからこそ、人々は、一つの枠を形成し、その枠があるからこそ、自身を安定的に規定し続けられるのである。 常に微動の拡大と縮小を繰り返しているが、全て…

優しさにおける偽善的側面

「考え過ぎなんじゃないか。」「もっと気楽に考えればいいんだよ。」という言葉は、思い悩む者に対して、善意の気持ちで使われているであろうか。その言葉は多くの場合に、対象に精神的な余裕を作らせることに繋がっているのであろう。それは、社会における…

小手先

小手先という存在を昔から、嫌悪しているし、当人が本気で取り組んでいることに対して、私だけ小手先の様に感じてしまうことも少なくない。それは、今も大きくは変わらない。 ただ、気にしなくてもよい小手先があり、どこは逃げてもよいが、どこは逃げてはな…

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