週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

弱者の努力への称賛

 オリンピックの水泳競技に、ろくな設備も無いアフリカの選手が出場し、2倍以上の時間をかけて泳ぎ切り、観衆から多くの拍手を貰っていた。そして、それは、その日のニュースに取り上げられていた。ちなみに、シドニーオリンピックの件の背景は、一応知っている。

 それは、学校の中におけるベクトルの両端に手間が向かう様に。逆に、普通の人々の心であり、体の摩耗によって支えられている社会の基礎部分への有意識の自覚は、向けられていない。ただ、それは、そこに向けざるを得ないという事情もある。表面的な側面における枠の中に、矯正させるというのが、役割の一つでもあるからであり、それは、集合体の運営に必要な要素の一つでもある。

 自分達の作った枠に自分達で苦悩し、その責務を他者に求め、そして、その要求を自分達で承認する。それは、我々が生きていく為に必要な側面であり、行為。極端に言えば、全ての物事は、自己の責任なのであるから。ただ、時に情けをかけなければ、安定的な継続が困難な為に、一時的な緊急措置を行うことが、必要というだけである。

 広義な視聴者にとって、オリンピックも、ドキュメンタリーも、連ドラも、コンサートも、ある意味で同じものなのであろう。そこには、視聴者と競技者の意識の乖離が、生じている。それは、大小の違いがあるだけで、芸能人、ミュージシャン、芸術家、作家などにも共通していることである。

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