週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

人における計画性という能力

 人という種と他の生物との違いの一つに、計画性という能力があるのではなかろうか。それは、他の生物にもある能力ではあるが、比較した場合に、その大きさは、無に等しいとも言えるのではなかろうか。
 その計画性という側面は、万人に行き渡り、平均化することで、逆に持っていなければならないものとなっているであろうか。同時に、平均というものは、ある意味で、人々をその枠に縛るものとも言えるのであろう。
 ただ、その前提には、その枠に留まりたいという意識が必要であるが、多くの場合に、その意識は、無意識の中で携えられているのであろう。そして、それは、人という種であり、個人の存続にとって、一つのセーフティネットになっているのであろう。
 また、人は、情という側面を鍛えた存在とも言えるが、計画性という側面においても、他の者を巻き込むだけでなく、時に他の者の利益も考えるという側面は、他の生物にはあまり見られないのではなかろうか。
 ただ、それは単に、他人の利益の取得が、自身の利益にも成り得るということだけではなく、その対象が喜んでいる様子を見ることや感謝されることで、自身の利益として変換される場合もあるのであろう。
 それは、人という種の存在にとって、必要な要素の一つなのであろう。そして、近年の人が生きる意味であり、生命の活用の模索の中の一つの答えになる可能性は、あるのであろう。
 ただ、それが、人の本質的な部分で、一番に追い求めているものではなく、その過程において、追い求めているに過ぎない様にも思える。

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