週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

戦争という機能

 人という存在において、戦争であり、争いという機能は、おそらく無くならないのであろう。不平等と同じように、無くならせる努力を続ける者達を否定はしない。
 手法が、物質的な側面から、非物質的な側面へ変化し、また、対象が、物質的な資源から、思考的な資源の奪い合いへと変化したとしても、何かを守る為に、何かを護り、何かを奪うこと、また、何かを手に入れる為に、何かを護り、何かを奪うということは、変わらないのであろう。
 経済的な国際競争という側面も、ある種の戦争とも言える。それによって、何かを奪い、そして、何かを守っている。それによって、何かを犠牲にし、何かを得る。
 そして、競争という要素は、人という存在の成長に必要なものの一つであり、その蓄積は、より一つ高い外の存在への対抗の備えである。
 ある意味で、無くならしてはならない機能とも言えるのかもしれない。少なくとも、無くなれば、おそらくは、今定められている人間の形態が維持できなり変容するのであろう。それを見られるのは、それはそれで面白い。また、現状の戦争という存在によって、賄われている側面であり、解消されている側面は、非常に大きいのではなかろうか。
 ただ、人が、戦争という存在を良い存在として認める必要はないであろうし、好きになる必要もないであろうし、必要以上に参加する必要もないであろうし、なくならせようとする作用を止める必要もないのであろう。
 ただ、必要悪という存在でも無いのではなかろうか。

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