週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

2019-01-01から1年間の記事一覧

選択していない自分

何かどれも一長一短。むしろ、全然ピンとこないに近い。先日、とある友人に数年振りにあったから、そこら辺に関するものを書こうかとも思ったりもしたが、何か迎合感や違和感がある気がする。まあ、そういう流れで書くというのは、一般的には割りと普通なの…

作品を重ねる毎に、理論になっていくのであろう

作品を重ねる毎に、理論になっていくのであろう。例えば、映画で言えば、その作品が、リメイクされる毎に。ただの単一の存在であったものが、それに体系が作られ、思考が加わり、思想が生まれ、理論として、一定の確立を得ていく。 その作品をどの様に表現す…

一人ひとりの言語

ラ抜き言葉も、一つの言語なのであろう。希薄(きはく)を、「きうす」と読んではダメなのであろうか。これらは、間違っているのであろうか。正しい日本語とは、何のことを言っているのであろうか。 辞典など単なる平均であり、多数の集合体でしかないのであ…

「大人」という、その状況における一つの状態」

人は、大人になるのか、大人という振る舞いを知っただけなのか。 大人と子供の差は、本質的なものではなく、知識の差でしかないのではなかろうか。年齢的に子供でも、大人な人は居るのであろうし、その逆も然り。 環境によって、変わる部分もある。肩書きが…

我々は、何を見ているのであろうか

ドラマや映画。それは、見せてもらっているというよりも、見せられているという方が正しいのではなかろうか。 視聴者は、我々の為に、我々に向けて、作られている、演じているという感覚を持っているのではなかろうか。視聴者に向けられたサービスというより…

今ではないもの

今は、まだ書きたくないネタやテーマというものもある。あえて、手を出さないものとも言える。 ある若手俳優が、ある有名な映画を、あえて見ていないと言っていたことがある。楽しみを取っておきたいらしい。似た様なものなのであろうか。 私が、まだ未熟だ…

今、私は、就活生を横目に何を思うのであろうか。

今、私は、就活生を横目に何を思うのであろうか。 大変そうだなと。これから、荒波に揉まれるのかと。染まっていくのか、既に染まっているのか。 現実を見るタイミングではあるのであろう。半強制的に。社会の中で、生きるということと向き合わざるをえない…

木の一生

例えば、木の一生というものをどう捉えるか。我々のそれとは、違うのかもしれない。我々の思っている、木の一生とは、木にとっては、単に、外出しただけに過ぎないのかもしれない。我々が認識している一生が、彼等にとっての一生と同じとは限らない。 同様に…

日本の文化の一端への誇り

ある意味での単純な親子関係や家族関係の構築に関しては、日本よりも、アメリカの方が、平均は高いのかもしれない。コミュニケーションを大事にして、子供の自立を重要視し、幼少期から促す。その中で、両親の考えに触れる機会も多いのであろう。その方が、…

後悔するということ

ある小説の一説に「昔、私は、自分のした事に就いて後悔したことはなかった。しなかった事に就いてのみ、何時も後悔を感じていた。」という言葉がある。 そこだけを切り取れば、一般的には、「やらないよりも、やって失敗しろ。」「後悔しない様に生きろ。」…

異常性について

本質的な異常性は、それ自体が、苦しいわけではない。その異常性を纏ったまま、常識の枠の中に浸らなければならない状況だからである。それ自体が、大変なわけではなく、それを携えたまま、常識という枠の中で、日々を常識的に過ごさなければならないからで…

「他人の意見を否定しない。」ということ

とあるワークショップやミーティングにおいて、「他人の意見を否定しない。」というルールを設ける場があると聞く。まあ、実際に、似た様な場に、参加したことはあるにはある。 何かを虐げなければ、何かを差し示すということは、出来ないのではなかろうか。…

ⓒ 2015 週刊Coelacanth