週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

表現するということ、伝えるということ

 今という時期であるのか、段階であるのか、伝えたいという言葉は、しっくりは来ない。表現という行為は、何かを伝えたいから行っているとは限らない。もちろん、伝えたいものがあるからこそ、表現している人は多いのであろう。ただ、伝えたいものが強烈にある内は、表現者としては、まだまだなのかもしれない。
 そもそも、表現するという行為と伝えるという行為は、全くの別物である。その二つが行為として重なっている部分はあるであろうし、個人の意識においてその二つが重なることは、あるのであろう。ただ、混同されてしまっている場合が多いとは思う。
 伝えるという行為は、対象が無ければ、始まらないであろうが、表現するという行為は、自身の中だけでも、完結できる場合もあるのではなかろうか。少なくとも、伝わらなくとも、納得が出来ることはあるのであろう。
 対象という枠を意識しない表現はないが、表現する側にも、その表現の仕方によって、対象という枠を選ぶことは出来る。
 自分というブランドであり、型を提供した方が良いのか。新しい自分を開拓した方が良いのか。自分の時期や段階の変化によっても、変わるのであろうが、対象の変化によっても、変わるのであろう。
 自己満足なものだとしても、伝わり易さの為だとしても、全てを見せるということはおそらく難しい。だからこそ、あえて一部を見せないという手法によって、より多くの情報や感情、意識を相手に伝えることができる。
 そして、表現する為の素を作るのか、その素を表現するのか。

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