表現するということ、伝えるということ
今という時期であるのか、段階であるのか、伝えたいという言葉は、しっくりは来ない。表現という行為は、何かを伝えたいから行っているとは限らない。もちろん、伝えたいものがあるからこそ、表現している人は多いのであろう。ただ、伝えたいものが強烈にある内は、表現者としては、まだまだなのかもしれない。
そもそも、表現するという行為と伝えるという行為は、全くの別物である。その二つが行為として重なっている部分はあるであろうし、個人の意識においてその二つが重なることは、あるのであろう。ただ、混同されてしまっている場合が多いとは思う。
伝えるという行為は、対象が無ければ、始まらないであろうが、表現するという行為は、自身の中だけでも、完結できる場合もあるのではなかろうか。少なくとも、伝わらなくとも、納得が出来ることはあるのであろう。
対象という枠を意識しない表現はないが、表現する側にも、その表現の仕方によって、対象という枠を選ぶことは出来る。
自分というブランドであり、型を提供した方が良いのか。新しい自分を開拓した方が良いのか。自分の時期や段階の変化によっても、変わるのであろうが、対象の変化によっても、変わるのであろう。
自己満足なものだとしても、伝わり易さの為だとしても、全てを見せるということはおそらく難しい。だからこそ、あえて一部を見せないという手法によって、より多くの情報や感情、意識を相手に伝えることができる。
そして、表現する為の素を作るのか、その素を表現するのか。