週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

人における情報と意識の循環

 何かの目的の為にあるものの接種を断つということ。健康や仕事の改善の為に。その対象への欲求を高め、感受をより強める為に。中毒や依存などの様に、自身におけるある種の特徴を平均という枠に戻す為に。
 そして、具体的に何かを得られるのか分からないが、それを断つことで、何かしらの証明であったり、未知の何かを手にいれようとする為に。
 何かを断つことで、他の側面の変化や成長の可能性の増加は、見込める。ただ、その方向の進化は、一時停止するのであろう。中断のない継続による積み重ねによって見えるもの。どれを選択するかは、もちろん、目的によるのであろう。
 時に情報過多とされる今の社会の中で、情報を断つという制約を自身に与えている者が居るであろうか。正確には、彼等は、情報というものを断っているのではなく、減少させているのであろう。
 そもそも、存在し他と接触する中で、同時に情報というものは、伝達されていくものである。そして、その情報というものは、人という動物においての根幹である思考という行為に、直接影響するものの一つである。
 つまりは、情報というものは、完全には断てないものであり、人における情報という素材は、ある意味で、人の全てを作っているとも言えるのであろう。そして、情報を得ることで、人は、人として、意識を形成し、意識を循環させられているとも言えるのではなかろうか。
 ただ、同一の存在から得られる情報であり、それによって生成される思考の量は、千差万別である。

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