週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

普通に扱って欲しいという欲求

■ 特別扱いという通常、普通に扱うという異常。普通ではないから特別に扱うのは、普通なことなのでは。例えば、障害者を、普通に扱うということの異常さ。それは、地位や権威のある者に敬意を払うのと同じなのでは。そもそも、健常者に対しても、気は使って…

「ウサギとカメ」

過信という側面においては、一つの限定された条件下での話ではあるのであろう。単純に、勝てばいいという話。余裕でも、ギリギリでも。60以上点であれば、60点も、100点も同じということ。余った時間という資源を自由に使えるわけではない。それらを、他に活…

気遣い

「気にし過ぎ。」 平均との比較であり、費用対効果を抑えるための手段の一つか。間違っているわけではないのに、悪いことの様に扱われる。単に、貸しを作りたくないだけか。気にし過ぎて、何が悪いのか。もちろん、その否定が悪いとも思わないが。 気を使っ…

人は、時に、そこに状況を置いてくる。

人は、時に、そこに状況を置いてくる。置いてくるものが、有形とは限らないということ。無形とも言えるが、思い出というわけでもない。意識というよりも、認識や前提という意味合いが、近いと言えば近いか。一つの土台であろうか。その状況に、一つの安心を…

肩書きを作るということ

「私は、○○のプロだから。」という言葉を、幾度か聞いたことはある。経営者を批判する事務方の人。給食費の回収に、苦悩している教師。意見を求められて、メディアの中立性を説く取材スタッフ。 「○○のプロであって、○○のプロではない。」 私も時に、そうい…

やる気

ある意味で、やる気の変動とは、表面的なものとも言えるのではなかろうか。行動における原動力の幾つかのエネルギーの総和に対して、一定の基準を超えた場合に、それを、単にやる気と捉えているに過ぎないのではなかろうか。 やる気という言葉の意味を問えば…

切っ先

理解とは、変化なのであろう。その事象を受け入れるということ。変わらなければ、理解はできないのではなかろうか。 自分という色彩に、他の色彩を混ぜ合わせるということ。どんなに色を重ねても、変わらない、変えられないキャンバスを持てるかどうか。ただ…

今、サボっていたツケが回ってきているのか。若しくは、今、苦しみ、頑張っているから、過去の私が、のんびり出来ているのか。

今、サボっていたツケが回ってきているのか。若しくは、今、苦しみ、頑張っているから、過去の私が、のんびり出来ているのか。 なぜ、未来が、先で、過去が後だと規定するのか。なぜ、時間だけが、一方通行だと思うのか。タイムトラベルが出来るかどうかでは…

4月28日

米を研ぐ時、ふと、気が付く。水を冷たいと感じなくなっている。窓を開けると、庭の桜は、葉が濃くなってきていた。外階段の手すりには、ジャスミンの枝が生い茂って、蕾を膨らませており、庭の飛び石の側には、三つ葉が生い茂り始めている。 陽気が訪れて、…

「目的」と「意味」について

どの存在においても、根本的には、目的も、意味も、無いとも言えるのであろう。同時に、何かしらの目的や意味が無ければ、そもそも、その存在自体が、存在できないとも言えるのであろう。 行動自体であり、無形も含めた存在における目的であり、意味。 それ…

都合良く進まない時

その一つの存在において、悪いと判断されている側面。それは、判断する側が、その様に見ているだけなのか。もしくは、その存在が、そうさせているだけなのか。同時に、その存在が、意図的にしていることによる結果なのか。 何かしらを守ろうと、与えようと、…

無意識の前提化

例えば、感覚派と理論派という分類があるとする。その上で、ハイブリッドという存在もあるのであろう。時にそれは、中途半端に見えるのかもしれない。 ただ、何処に基準を据えるかの違いであり、ハイブリッドを主軸にすれば、感覚派や理論派という軸も、中途…

そこにあるものに。

「忌憚なく言わせてもらえば」や「誤解を恐れずに」という言葉を使っている時点で、既に忌憚や恐れを抱いているとも言える。 ニュアンスの違いへの賛否は、あるのであろう。そうではないという意見も分かる。 ただ、そこには、少なからず、何かしらの不安が…

例えば、旨い不味いよりも、どの様に味わうか。

大人になったとしても、悪い意味での子供的な側面が無くなるわけではないのであろう。その側面における自身の枠が変化しているに過ぎない。広がり、狭まり、移る。同時に、その齢によって、世間からの常識も変わっていく。 社会から自立を求められる存在があ…

理解と認識

凄さというのも一つの常識でもあり、理解がされるということも、その事象における一つの凡庸さを表しているとも言える。その事象における凄さの理解ができないということと、認識ができないということの違い。そして、他者が認識できないということに対して…

浸りたい時間

納得できないから、商品を出さないというのも、一つのポスピタリティの極致だとは思うが、同時に、どんな状況であれども、商品を出し続けるというのも、一つのポスピタリティの極致なのであろう。 それが可能な緊張感を保ち、高いレベルを積み重ねることで、…

掛け合い

質問の仕方において、「あなたにとって、○○とは?」という聞き方がある。 答える側に対して、大きな負担を課す側面もあるが、その聞き方自体は、非常に密度が濃く、本質的な部分を突ける可能性のある手法とも言える。また、答える側が、自ら答えの幅や枠、前…

一つの面白さの為に

幸せという感覚も、生き方における一つの基準でしかないのであろう。 何かの状態になろうとすることは、素晴らしいことだとは思う。ただ、その形であり、そのもの自体への欲求は、本当に、自身の欲求から来ているのであろうか。それが、正解だと世間が言って…

横文字

常に人は、無意識の中で、発する言葉に意識を乗せている。そして、常に人は、無意識の中で、その言葉の意識を受け取っている。会話というのは、言葉のやり取りではあるが、同時に、意識のやり取りでもある。使う側であり、使われる側において、言葉への意識…

平等について

一つのその平等な状態ということは、同時に、一つの不公平な状態でもあるのであろう。 その社会であり、組織から受ける人々への資源や機会の平等性というものは、多数が、理解し、納得できる事柄に対してのものであり、多数が、理解し、納得できる資源であり…

彼もその中で生かされている

寝たきりの権力者。子供でも、その管を抜けば、数分で命を落とせるのであろう。それでも、彼の力は、揺るがない。 人における他の存在に依存しなければならない側面。それが彼を支えているのかもしれない。その側面は、彼にも、備わっている。そういう意味で…

記録という指標への自己評価

一番の記録を持っているという状態は、確かに一つの凄さではある。ただ、周囲と当人における、その状態に対する価値観は、異なるのであろう。 記録を追っていても、記録は付いてこないのであろう。それは、例えば、スポーツに関しては、記録という側面が、副…

知っているということと、分かっているということ

自身に対してであり、他者に対して、あえて加えないことで、見えてくるもの、作り出せるもの。 日常の中で、その理論自体は、多くの人であり、場面で使われているのであろう。ただ、他の場面において、その理論が流用できるということは、あまりないことなの…

逃避ができるということ

逃避や愚痴という行為は、自身を管理している存在への反抗の一種なのであろう。自己の管理という機能の一部を代替化されているという自覚は、薄いのであろう。ただ、全ての側面において、自律する必要性があるとは、思わない。 逃避ができる状態というのも、…

フィルター

それ以上に加えることで、そのものの良さを消してしまうことは、多々あるのであろう。手法の一つとして、加えないという選択をしているのか。若しくは、無難な選択をしているだけなのか。そもそも、選んでさえいないのか。 その偏りが、深みというものを創り…

素直や等身大という枠

いわゆる、世間で使われている「ひねくれ」と「素直」という枠は、表面的で、固定化されたものに過ぎないのではなかろうか。同時に、表面的な同質性によって、その本質的な側面も、同質として扱っているのではなかろうか。自分の中で、その物事と正対し、そ…

意識と行動における鶏と卵

人の行動というのは、自身の意識によって、選択されているというのが、一般的な感覚なのではなかろうか。しかし、ある研究によれば、行動によって、意識がもたらされているという考え方もある様である。その意識は、既に脳によって、決められた選択に対して…

計画するということ

計画を考えるという行為は、ある種の未知の領域への思考であり、同時に不安も作り出されるという側面は、拭いきれない。そして、不安は、出し始めたら切りがなくなる。基本的には、「やってダメだったらどうしよう。」という類の不安なのではなかろうか。そ…

他者への影響

相手のことを考えるという行為は、その相手との関係性を良くしたいという意識と同時に、対象を自分の認識の枠に入れて、留めておきたいという意識もあるのではなかろうか。それは、自身の意識において、未知な存在という負荷を抱え続けることへの対応でもあ…

経験というものの捉え方

加えるということだけが、経験なのか。一人の人間であり、一つの存在を、情報の一つであり、経験の一つとして捉えれば、さらに大きな括りの存在において、様々な類の要素が必要であり、つまりは、加えていない人々という要素も、一定数が必要なのであろう。…

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