週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

経験というものの捉え方

 加えるということだけが、経験なのか。一人の人間であり、一つの存在を、情報の一つであり、経験の一つとして捉えれば、さらに大きな括りの存在において、様々な類の要素が必要であり、つまりは、加えていない人々という要素も、一定数が必要なのであろう。少なくとも、情報としての根本的な部分において、優劣はないのであろう。
 加えないという経験の仕方。一般的な加えるという行為を、しないという方が近いかもしれない。その行動が経験になるかどうかは、その行動を経験とするか否かでしかない。その行動を経験として認識するかどうかを分けている一般的な基準は、それは、基準の一種類でしかない。
 何もしないことによって、作り出されるものもあるであろうし、そもそも、何もしていないかどうかは、自他共に、表面的な判別でしかない。人は、常に何かしらの経験を積み続けているとも言える。
 また、物事を語る上で、物質的な経験は、必須ではないのではなかろうかとも思う。特別な体験によって、特別な話ができる者の意識は、普通とも言える。同時に、普通の体験によって、特別な話ができる者の意識は、特別とも言える。また、特別な体験によって、普通の話をする者の意識も、また、特別なのかもしれない。
 それは、自身という鐘の叩き方を知っているか否かの違いとも言える。

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