週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

知っているということと、分かっているということ

 自身に対してであり、他者に対して、あえて加えないことで、見えてくるもの、作り出せるもの。
 日常の中で、その理論自体は、多くの人であり、場面で使われているのであろう。ただ、他の場面において、その理論が流用できるということは、あまりないことなのであろう。
 同時に、熟成という手法が用いられるのは、物質的な存在だけではなく、思考的な側面にも、用いられる。ただ、物質的な存在と違い、意識や精神というものは、その熟成のさせ方であり、確認における手法は、確立されていないのであろう。
 何もしないことで、余裕を作り、何も、出さないことで、蓄える。そして、自分の中での醸成具合であり、熟成させてみたいという意識。物書きという職業にも、幾つかの種類があるが、それらは、その醸成の段階の差異によって、別れていくのかもしれない。
 他者に対しての発信の為の蓄積ではなく、自身からあえてださず、自身の中にあえて、蓄積させるというのは、作家として必要な作業の一つなのであろう。少なくとも、一度自身から出たものへの再考は、必須なのであろう。

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