週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

フィルター

 それ以上に加えることで、そのものの良さを消してしまうことは、多々あるのであろう。手法の一つとして、加えないという選択をしているのか。若しくは、無難な選択をしているだけなのか。そもそも、選んでさえいないのか。
 その偏りが、深みというものを創り出すのではなかろうか。その偏りによって、対象の枠を広げ、より深い部分を引き出せるのではなかろうか。その偏りを孤立させない為に、他の要素も、それに併せて加えていく。それが、技術である。
 そのままというのは、ありのままではないのであろう。そのままの言葉を使っていても、例えば、インタビューという形を取っただけで、伝言ゲームの様に、既に一つのフィルターを通過されているわけである。そのフィルターによる偏りを選択するのが、その者の仕事とも言える。文字であり、写真であり、映像であり、その手法による根本的な違いは、無いのであろうし、情報量の差異というのも、一つの要素でしかない。
 そもそも、個人が言語化している時点で、既にありのままではなく、フィルターを通過しているとも言えるのであろう。つまりは、どの様な状況であれ、手法であれども、何かを発信する際に、情報に対して、フィルターという機能を意識し、偏りへの選択をするというのは、至極当然の行為なのではなかろうか。

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