人は、時に、そこに状況を置いてくる。
人は、時に、そこに状況を置いてくる。
置いてくるものが、有形とは限らないということ。
無形とも言えるが、思い出というわけでもない。
意識というよりも、認識や前提という意味合いが、近いと言えば近いか。
一つの土台であろうか。
その状況に、一つの安心を感じる。
戻って来られる場所。
実際に置いてあるものは、他者から見れば、有形であり、また、価値の無い者かも知れない。
確かに、当人にとっても、その物体自体には、それほどの価値は、ない場合もあるのであろう。
だからと言って、壊されては、困るのである。
その状況で終わらせたのであれば、その状況から、始めなければならない。
その状況が変わっていれば、また一から、その土台を構築し直さなければならない。
変わったという認識を知るということは、あまり意味はないのであろう。
逆に、最初から、他者が作った状況だということを認識できていれば、また違うのであろう。
そこに自身の状況は、まだ、置かれていないのであろうから。
一度、壊されたものは、戻ってこない。
それが、好意であろうとも。
相手にとって、その価値が、認識し難いからこそ、居た堪れなくなる。