週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

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                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

枠の内側と外側

 咎人、天才、変態、少数派、独裁者、異端者、偉人。

 一側面であり、一個人としての肩書き。

 彼等が居るからこそ、人々は、一つの枠を形成し、その枠があるからこそ、自身を安定的に規定し続けられるのである。

 常に微動の拡大と縮小を繰り返しているが、全てを包みこむことは叶わない。その枠を広げたとしても、そのさらに外側には、また異なる彼等がいる。そして、それらの枠は、あらゆる大小の集合体における、人々の意識の中に存在している。

 

 追い出された者、自ら出ていった者、元々居た者。

 全ての者が、枠内への移動を希望するとも限らない。もちろん、移動できるとも限らない。

 枠内の一部の者が、受け入れを容認したとしても、社会が変容を必要とするのであれば、難易度は非常に高くなるのであろう。変容というリスクに対する意義を見いだせるのかどうか。

 枠外の者を枠内に招き入れることは、集合体の深化に時に重要な要素に成り得るが、必要な変容を経ずに行われるそれは、ある種の矯正であり、洗脳と同義にも成り得るのであろう。

 

 枠という存在は、常に、我々を規定させる為の重要な要素であるが、それは同時に、枠外の者にも、少なからず言えることである。

 人々が否定できる類の枠とは、自身がその枠の内外を本質的に理解できていないものに対して、可能なのであろう。もちろん、その側面も、時に必要なものの一つに成り得る。

 

 その枠を広げる者、狭める者。

 その一歩を踏み出し、道を作るという役割。

 同時に、それらの行為を行う土壌を作るという役割。

 そして、その土壌には、二つの意義がある。

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