解体途中のビルへの洞察
ある日の夜の散歩中、ふと一つの場所の前で足が止まった。解体途中のビル。敷地面積はそれほど広くなく、3階建て程度だが、住宅街には、十分な大きさである。
どういった理由かは分からないが、瓦礫の山という姿ではなく、建物の中だけがくり貫かれ、正面以外の外壁と天井、コンクリの外階段だけが残されていた。その中に、ショベルカーが留守番をする様に置かれていた。外壁に使われている赤色のレンガが、お洒落さを出していた。
それは、ある種のビルという存在からの発信であり、表現。他の存在から認識されたいが為に、我々に解体させたのかもしれない。そして、私が、それを受け止めた幾つかの存在の内の一人であったということ。人とビルという二つの存在から作られる関係性は、確かに特殊であるが、それは人の知覚の範囲の上での話。
何処かに哀愁を持たされる佇まい。自身の中を綺麗にくり貫かれ、数日後にはおそらく、跡形も無くなっているのであろう。
彼は、評価を求めている様にも思える。「俺は、こんなに頑張ったんだ。」と。その感情は、彼が、彼自身にとって十分な評価を与えられていなかったという意識に起因するのであろう。
戦場や被災地と言ったところでは、こういった情景は、極普通であり、逆に、正常な建物の方が珍しい場合もあるのであろう。都会の住宅街に似つかわしくないからこそ生み出せる感覚。
なぜ、彼がその表現を選んだのか。何かを伝えたかったのか。人で言えば、全裸以上とも言える自身の中身をさらけ出すという手法。ただの変態なのか。単に、自分が消える前に見て欲しかったが為の足掻きなのか。
やはり彼も、「誰にも知られずに咲き、そして、枯れていく世界一美しい花」には、なりたくなかったのであろうか。ただ、他の全ての存在に、認識されずには、逆に存在させられないとも言える。
つまりは、彼は、孤独からの寂しさを抱いていたわけではなく、自身の意識を認識できる高さのものを待っていたのかもしれない。