週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

信号無視

 ある日の横断歩道での信号待ち。もうあと数秒で青信号に変わりそうなタイミングで、車が来ないのを確認しつつ、赤信号を渡っていった人がいた。またある日には、青信号を渡っている時に、ちょっと斜めに車道を使いながらショートカットする人もいた。
 それらは、軽い信号無視であるが、特に珍しい光景でもない。私も全くしないわけでもない。
 ふとした違和感。怒りでもなく、不安でもなく、蔑みでもなく。
 そこまでして、彼は、急ぐ必要があったのであろうか。おそらくは、本当に急いでいた可能性は、低いのではあろう。もちろん、本当に急いでいたのかもしれない。ただ、その行為によって、もし事故にあっていたならば、彼は、自身に落ち度はなく、他人のせいや運が悪かったとするのではなかろうか。
 ルールを破るという行為を、何の精神的な束縛も受けずに実行できるのであれば、それは、枠という存在の意義を知識としては持ち得ていても、意識としては持ち得ていないのであろう。
 人々が形成しているルールを外れる行為の良し悪しを問いたいのではない。
 おそらくは、無意識の中で行われる行為を積もらせていくということの意味。その類の行為は、日々積み重なり、大きな形を作りだす。何を積み重ねるのか。同時に、それを積み重ねても良いのか。そして、ルールを破るという側面よりも、その余裕のなさという側面の積み重ねが、何処かで、何かを少しずつ消費させているのではなかろうか。
 彼等は、きっと、有意識で精査されることなく、それを行っている。そして、この類の積み重ねの結果というものは、信頼や健康などの様に、誰かに責任を擦り付けることは難しい。そもそも、その側面の存在さえ認識していないであろうし、つまりは、ある種、問題にさえ挙がらないということでもある。
 そして、彼等の様な人間に対して、ある種の憧れの意識を、私は心の何処かで、抱いているのかもしれない。

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