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今、私は、就活生を横目に何を思うのであろうか。

 今、私は、就活生を横目に何を思うのであろうか。
 大変そうだなと。これから、荒波に揉まれるのかと。染まっていくのか、既に染まっているのか。
 現実を見るタイミングではあるのであろう。半強制的に。社会の中で、生きるということと向き合わざるをえないということであろうか。社会に出るタイミング。投げ出されるタイミングという側面。
 映画「プライベートライアン」の最初の戦場のシーン。根本的に、現代も変わらない部分もあるのではと思ってしまう。もちろん、直接的に、命を奪われるというわけではない。ただ、育っていなくとも、世に送り出さなければならないということ。力不足でも、世に出なければならないということ。そして、力のない者、割り切れない者、覚悟の持てない者、運のない者は、それなりに苦労するということ。
 冷静な判断は、もう既にある程度できなくなっているのであろう。ここで全てが決まるという重圧。緊急時的な状況で、一つの将来を決めなければならないのであろう。まあ、準備不足もあるのであろうが。
 特別と言えば、特別だし、特別ではないといえば、特別でもない。
 彼等は、結果を求めているだけなのであろう。内定を何個取れるのか。より良い企業に入れるのかどうか。同時に、就活は、するものだという無意識の前提。高校には、行くものだという無意識の前提の様な。
 自身と社会の差違を確認する場所であり、時間。世間の枠と、自身の枠との距離。合わせられる距離なのかどうかを、見極める期間。
 別に、幾つかある人生の分岐点の一つであるという以上でも、以下でもないということなのではなかろうか。
 偉いなとは、思うか。単に流されているだけなのかもしれないが。ただ、流されてでも、しがみ付こうとはしているのかもしれない。流されていることに、無意識のレベルで、気が付いていたとしても。
 一番に感じるのは、不安であろうか。それが、今の彼等に対してなのか、過去の自分に対してなのか。今のレールから、次のレールに、乗り移れるのかどうかという不安であろうか。高校、大学、就職と、それぞれにおいて、それは、あったのであろう。ちなみに、人々は、時期を進むに連れ、どんどん細分化されていくのでは。種類と、等級毎に。高校、大学、就職と。
 なぜ、彼等は、普通に就活をして、働き続けられるのか。過程ではなく、結果という事実において。慣れなのか。慣れるまでの問題なのか。ただ、根本的な部分で、私は、組織で、働き続けられる自信は、未だに持てていない。
 みんな、どこか、もっと、働くということを楽しめないのであろうか。みんな、楽しんでいるのであろうか。割り切っているから、続けられるだけなのか。

 羨ましい部分と、羨ましくない部分とがある。彼等に希望や期待なんてあるのだろうか。不安と、疑念しかないのではなかろうか。単に、私がそうだったからとも言える。
 面接に、等身大の自分で、行ったら、等身大で良いと言われたり。人事の人も、普通の一社員以上ではないと感じたり。本当に、中身を見てくれる人なんていないと感じたり。
 今の自分で、就活できれば、結果は大きく違っていたのであろう。結果を変えたかったというよりも、試したかったことがあったというか。噛み付いておきたかったというか。
 別に、今でもそれは、形は異なっても、本質的に同じことは出来るはできるのであろう。でも、今は、それを、する気はない。彼等に対して、噛み付きたいとは思っていない。その時にしかできないこと。
 後悔を、どう処理するのか。個人的には、後悔自体は、処理はし切れないのであろうと思う。今に、どれだけの価値を感じられるか。今に対して、それなりに納得ができれば、それに至るこれまでに対して、ある程度の妥協はできるのかもしれない。確かに、当時のあの状況で、あの選択肢は、仕方がなかったと思えるのである。あの時の自分に、今思う良い選択肢を選べたとは思えない。仕事を辞めたこと、探さなかったこと、就かなかったこと。後悔はしても、戻りたいとは、思わない。
 今思えば、そこまで、深刻に考える必要も無かったのかもしれない。そう思えるのは、結果的に、所謂レールから降りたからでもある。最初から、乗らないと決められていれば、もっと、有効にあの期間であり、体験を、より今後に対して、意味のあるものに出来たのではなかろうか。
 そういえば、一応、内定は、貰えた。自分のその時のある意味での全力を出したからなのだと思う。ただ、そこまで嬉しいものではなかった様に思う。逆に、自分のそれまでを売ってしまったという感覚。贅沢な話なのかもしれないが。

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