週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

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                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

今ではないもの

 今は、まだ書きたくないネタやテーマというものもある。あえて、手を出さないものとも言える。
 ある若手俳優が、ある有名な映画を、あえて見ていないと言っていたことがある。楽しみを取っておきたいらしい。似た様なものなのであろうか。
 私が、まだ未熟だからなのであろうか。ただ、未熟という状態において、作れるものもある。
 単純に、尻込みしているのか。そのテーマを、壊してしまうのではなかろうか。傷つけてしまうのではなかろうか。良いものに成る筈だったのに、私のせいで、陳腐なものになってしまうのではなかろうか。良い食材を前にした、料理人の様に。
 そうであっても、良いのではなかろうか。それが、そのものを表す一側面であることには、変わりないわけで。その側面も、愛してあげれば良いわけで。それが、今の自分の限界なわけで。そういう意味では、その対象のことを想ってというよりも、自分における現実を見せつけられるのが怖いだけなのかもしれない。
 若しくは、その他の要因か。他人に知られたくない、見せたくない、今は見せない方が良いと思う一面を晒すことになるかもしれないからなのかもしれない。
 そのネタを扱うことが、苦手ということとも違う。謙遜の方が近いが、また違う。今は、まだ、もったいないというのが、近いのかもしれない。今の私の状況においてなのか、示す相手においてなのか。技術なのか、タイミングなのか。
 今一度やってみて、後年にまたやってみるというのも良いのかもしれない。でも、初めてという機会は、二度と訪れない。だから、躊躇しているのか。
 まあ、そんなことを一々気にする様なものでもないのかもしれない。私のレベルであり、そもそもの私のタイプであり。
 そういう意味では、大した話でもないとも言える。その時に、一番だと思うものをやっていけば良いだけ。確かに、そういう意味で、出し惜しみしていると、成長しなくなる。お金が、天下の周り者という様に、意識も似た様な部分がある。また、おそらく、出したからと言って、無くなるわけでもない。
 それでも、やはり、取り組めないテーマはあったりする。
 安定した状態で、時間を掛けて、しっかりとした技術で取り組みたいのであろうか。安定や時間は、確かにそうかもしれない。ただ、技術という観点に関しては、あまり気にしていないかもしれない。やらないと付かないから。だから、自分には、扱い切れないテーマであったとしても、取り組んだ方が良いと思う部分もある。
 一つ言えるのは、今考えてみても、大したものは、出てこないのであろうという想定があるからなのであろう。今の自分の状態、状況、経験を加味した時に、その対象を鑑みて。
 それは、一側面の未熟さという状態において、今ではないということなのであろう。

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