週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

2016-01-01から1年間の記事一覧

それらの答えを導き出す過程において

一つの事柄について語れば語るほどに、その事柄自体の価値は、減少していくのではなかろうか。だから、さらに語ることで、それを補完しようとするのであろう。 常にシンプルが良いというわけではない。時に、何も加えないことで、見いだせる形があり、時に、…

店員と客という対人関係の中の一つのケース

過剰接客によって、する側がそれで、自身達を守っているのであれば、ある意味で、される側も、守られている側面は、あるのかもしれない。 人間関係の希薄化を認識している現代において、壁を作らない人、壁を壊しにきてくれる人というのは、非常に求められて…

マニュアル

人は、満足という状態を欲しているというよりも、その状態によって得られるものを欲しているのではなかろうか。それらの一つに、安定感があるであろうか。 その安定感を得たいというよりも、満足していないことで生まれる、不安定な状態が嫌なのであろう。そ…

評価するということが難しいときがある

その結果に対する評価は、その集合体の基準や前提によって、決まってくるのであろう。それは、明確な括りの認識を持たされていない社会や世間という対象においても、同様である。そういう意味では、良し悪しの評価は、形式的で採点に近い様にも思える。それ…

その物事に必要な資源の量に対して、その物事にかける資源の量

その物事に必要な資源の量に対して、その物事にかける資源の量。それは、時に無理な程度の減少のさせ方となり、その差異による負荷が積み重なることで、大きな影響に繋がることもある。時間であり、健康であり、余暇などの資源をどの様に活用するのか。それ…

餅を食べるということ

正月には、毎年の様に、餅による死傷者についてのニュースが報じられる。他の食べ物に比べて餅による死傷率が、高いかどうかは分からない。ただ、その危険性を分かっていても食べるという側面は、変わらないのではなかろうか。 自分は、大丈夫と思うからか。…

今だから気が付けること

昔に比べて、物質的な常識を整えていくことに対して、喜びを感じると同時に哀しみの様な感覚も持っている自分に気が付くことがある。それは、何かを手に入れることへの安心であると同時に何かを失うことへの不安と言えるのかもしれない。 お金の無かった昔の…

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