それらの答えを導き出す過程において
一つの事柄について語れば語るほどに、その事柄自体の価値は、減少していくのではなかろうか。だから、さらに語ることで、それを補完しようとするのであろう。
常にシンプルが良いというわけではない。時に、何も加えないことで、見いだせる形があり、時に、加えていかなければ、越えられない側面があるということ。その事柄自体の価値を表現したいのか、その事柄を基礎にして、他の何かを表現したいのか。また、全ての場合において、その加えるべき最少であり、最大の値は、同一ではなく、その事柄毎に、その値は異なるのであろう。
これらは、一つの答えの集まりであり、一つの答えという形の作り方や分類の仕方とも言えるか。
それらの答えを導き出す過程において、多くの場合には、努力による積み重ねによって、何かしらを加えることで、見いだしているのではなかろうか。ただ、時に、全く努力をしないことで、見いだせる側面もあるのかもしれない。もちろん、その二つの差は、表面的な違いとも言えるであろうか。
そして、答えというのは、流動的な過程において、ある側面を一時的に固定化させたに過ぎないとも言える。