週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

詐欺的な側面

 対象に対して、故意に不安を作り出し、それを解消する為に、金銭を支払わせるという手法。それは、詐欺とも言われているであろうか。ただ、そういった側面は、どの商売においても、少なからず存在している側面なのであろう。
 教育であり、防犯であり、安全であり、保障であり、コンプレックスであり、見た目であり、その不安や欲求を解消する為に、必要でないかもしれない商品やサービスに対して、金銭を支払っているのかもしれない。ちなみに、それは、消費者だけでなく、社員や社長であり、その業界自体でさえも、その仕組みに含まれている場合もあるのであろう。
 そこで、金を支払うことで、自身の何かしらの欲求は、間違いなく解消されている。また、如何に、需要を産み出すのかという側面だけを言えば、経済であり、経営の基本の一つとも言える。そして、元々誰も気にしていなくとも、誰も意識していなくとも、大きな問題になっていなかったとしても、その側面は、一つの改善の余地とも言える。
 何事においても、その境界線の案配の調整というのは、非常に難しい。合法だから、全ての側面が正しいとは限らず、同時に、違法だから、全ての側面が悪いとは限らない。だから、情状酌量などの概念がある。ちなみに、違法を取り締まることに、基本的には、大きな異論はない。その社会の枠を安定的に形成し続ける要素の一つに、その法律の維持があるのであろうから。
 需要を生み出すということは、その手法だけを見れば、対象を騙すとも言えるし、それまで、不要だった負荷を作らせ、背負わせるとも言える。その需要を生み出す為に、欲求が変化させられているのか、その欲求が変化することによって、需要が生み出されているのか。それらの変化によって、膨張と収縮を繰り返し、その意識の一部は、進化していくのではなかろうか。

 

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