週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

休み

 休むという行為は、その先の目的に戻るという前提の上で、行うものなのであろう。その目的がない休みは、休みにはなっていないのではなかろうか。
 それは、休むという行為も、一つの行動であり、流れの中に組み込むことで、体であり、無意識の自分も、その休むという行為を実行しているということなのであろう。休むという行為と、何もしていない状態は、表面的には、同様に見られるが、その内実は、全く異なるものなのである。
 また、休むという行為は、何もしないというのが、ベストではなく、ある程度の負荷は必要である。そして、その目的であり、先における基準をどこにおくのか。それによって、休みの際の負荷の基準が決まってくる。そして、その負荷の種類は、その事象に直接関与するものでなければならないとは限らないのであろう。
 また、休まないということで、至れる領域であり、作ることを可能にする高さはあるのであろう。もちろん、その距離の視点における休むという行為においてではある。同時に、それは、走り続けていたとしても、休めないというわけではないということでもあるのであろう。

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