週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

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                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

季節という関係性

 季節が移り変わっていくということ。冬や夏の前後に強く感じるものであろうか。冬や夏の始まりは、その寒さや暑さが徐々に到来することを憂鬱に感じる。ただ、それらが去っていくときに、暑さや寒さからの辛かったことを忘れ、私は、いつも寂しさを覚える。
 好敵手が引退し、張り合える相手が居なくなったときの様な感覚か。確かに、ある程度の対等性の上であれば、敵という存在も、居なくなると寂しいものでもある。
 若しくは、その相手への労わりか。敵という存在に対してと言うよりも、適という役を担ってきたことに対して。春や秋という配役であり、冬や夏といった配役。どれが、主役かどうかは、受け取る側によるであろうか。単純な好き嫌いとは、また違うことなのであろう。そして、私は、その劇を見ている側なのであろうか。むしろ、参加している側なのかもしれない。
 どうせまた、来年もやってくるし、嫌でも対応しなくてはならない存在でもある。年中行事に近いという感覚は、少々可愛らしい捉え方かもしれない。根本的には、好きとか嫌いとかで、分け隔てられるものではないのであろう。人間関係で言えば、家族の様な存在であり、関係性なのではなかろうか。
 好きだから、会えるというものでも、嫌いだから、会わなくて良いというものでもない。会える回数は、限られており、同時に、ある程度の回数は、会わなければならない。ある種、家族以上に家族的な関係性とも言えるのかもしれない。

 

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