週刊Coelacanth

小川作文講座 http://ogawasakubun.blog.jp/

                        <お知らせ>
                        現在月一回の更新になっております。
                        毎月、中旬頃を予定しています。
                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

焦りというものを、持つということ

 その焦りという感情を取り除くのか、付き合うのか。それを取り除けるのであれば、取り除いても良いのかもしれない。ただ、それを取り除くことで、同時に取り除かれる他の存在もあるのであろう。その同時に取り除かれる存在が、当人にとって、本質的に必要な要素なのであれば、実質的には取り除けないのであろう。そういう意味では、付き合うしかないだけとも言える。

 また、起因となる欲求を抑制させることで、その焦りを保留させるということも、出来るであろうか。ただ、それは、根本的な解決ではなく、対処的な療法であり、文字通り保留させているに過ぎず、いつかは、その側面と向き合わなければならない。
 ただ、時間を置くことで、他の側面が変化し、焦りという側面は、減少させられるかもしれない。同時に、それは、焦りという側面だけに限ったことではないのであろう。

 その一つの普通の体験を、普通なままにさせてしまうのか、普通でないものにさせるのか。その逆も、また然り。焦りという感情を、ただ焦りという感情としてだけ捉えるのか。その事象におけるその側面だけを見るのか、その側面だけを得るのか。

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