週刊Coelacanth

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                        過去の記事も見ていただければ幸いです。

孤独について

 孤独とは、辞書では、「仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。」「思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。」とある。
 時に、孤独感というものを強く感じることもある。一人暮らしをしているのであれば、ちょっと、具合が悪くなれば、そのまま死んでしまうかもしれない。親や兄弟、友人が気が付く前に。まあ、そういう意味で言えば、多くの人々が一人で暮らしており、特に事故に会うこともなく生きているわけではある。
 誰かと、会って話していても、孤独に感じることもある。それは、上記の「心を通い合わせる。」を実行できていないからなのであろう。物理的な孤独感ではなく、精神的な孤独感か。そこから、物理的な孤独感の解消に逃げる人もいるのであろう。
 実際、状態として、孤独な人は、意外に少ないのであろう。ただ、日々の生活の中で、孤独を感じることがある人は、それなりにいるのでは。
 もちろん、孤独という状態の大小は変わってくるか。例えば、家族が居たり、新しい家族ができれば、低くなるかもしれない。
 物理的であり、表面的なものと、精神的であり、本質的なものとが、あるのであろう。そして、二つを合わせた、総合的なものと。
 ある意味では、人は、そもそも孤独とも言える。独立した一つの存在である以上その側面を、ゼロにすることはできないのではなかろうか。個として、独立した上で、他の存在と交流させているということ。まあ、どの視点や距離感で見るかにもよってくるのであろうが。独立していると同時に、他の存在をなくしては、存在させられないとも言えるわけだから。
 孤独は、みんな嫌なのであろうか。一人で過ごすのが好きとは、また違う話である。それは、単純に、必要な他者との関わりの量の違いである。大小ではなく、有無の話。

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